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2020年07月04日

本能寺の変直後の明智軍の戦績を示す文書を発見

NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の主人公、戦国武将・明智光秀が、本能寺の変(1582年)で、織田信長を倒した直後、光秀の重臣、明智秀満(左馬助)が、船で瀬田川を渡ろうとし、瀬田城主・山岡景隆と戦になったと記された文書が、石山寺(大津市石山寺1)で見つかりました。
明智軍が、船戦をしたとされる文書の発見は、初めてです。
県文化財保護課は「ほとんど分かっていない光秀、秀満の足跡に関する貴重な資料」としています。

麒麟がくる 前編(1)(NHK大河ドラマガイド)

見つかったのは、「山岡景以(かげこれ)舎系図(いえのけいず)」です。
5月、倉庫の整理中に、発見されました。

縦27センチ、横119センチの紙に、山岡家の系図が、漢文体で書かれています。
景隆の息子・景以が1591年に記したものを、1641年に清書し、さらに、別の人物が、江戸時代中期に書き写したとみられます。
41年は、将軍・徳川家光が、大名と旗本の系譜「寛永諸家系図伝」の編さんを命じた年であることから、景以が、家光に差し出すために清書したと、推測されます。

山岡景以舎系図によると、1582年6月、本能寺の変で織田信長を倒した後、安土城に向かう明智軍に対し、信長に仕えた景隆が、瀬田橋を焼いて、進軍を阻止します。
その後、軍勢を率いていた左馬助が、船に乗って強行突破を試み、湖上で船戦となるも、景隆が、左馬助の家来らを打ち負かし、進軍させなかったと記されています。
景隆が、瀬田橋を焼いて明智軍を阻止した話は、「信長公記」などにありますが、実際に船戦をしたと記された文献は、初めてです。

左馬助は、光秀の娘婿、いとこなどと伝わっています。
瀬田橋を渡ることができなかった左馬助は、光秀の居城・坂本城(大津市)を目指します。
途中で敵方に道をふさがれた左馬助が、打出浜から北方向の柳が崎まで、馬に乗ったまま琵琶湖を渡ったという「湖水渡り」の伝説が残りますが、県文化財保護課は「瀬田橋の船戦が脚色されて、伝説になった可能性もあるのでは」と分析しています。

発見された文書は、10月31日から、期間限定で、同寺で公開する予定です。

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本能寺後の明智光秀については、誰の援護も受けられず、あっさり討ち取られました、程度のことしか知りません。
ドラマでも、それほど詳しく描かれることはなかったと思います。
これを機に、光秀および光秀側の軍勢の足跡が解明されると、興味深いかもしれません。

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